競輪の歴史

■自転車競走
記録に残る上での日本初の自転車競走は、1895年(明治28年)7月4日、横浜クリケットクラブのトラックで行われた自転車競技だと言われている。また、日本人が初めて自転車競走に参加したのも同年、との記録がある。1897年(明治30年)春に不忍池において開催された大会では参加者約20名、優勝者は鶴田勝三で、当時では圧倒的な強さを誇っていたのだった。
その後、1905年(明治38年)以降、報知新聞などの新聞社各社が主催するようになり、自転車業界が育てたノンプロ選手が宣伝のために走るという自転車競走が活発に行われるようになっていった。日本において自転車競技のノンプロ選手一人目は小宮山長造である。このように、戦前の自転車競走はロードレースを中心に盛んに行われ、中には競走用自転車で全国各地を転戦する者もいたという。

■競輪誕生
競輪が公営競技として開催されるようになったのは太平洋戦争終結後である。
当初は第二次世界大戦敗戦に伴う大陸や南方からの引揚者に、宝くじの利益をもとに住宅建設構想を練っていた思惑と、湘南海岸に一大レジャーランドの建設を構想し、世界屈指の観光地とする構想を描いていた思惑がそれぞれあったが、「住宅建設宝くじ」を取り入れる形で、「自転車産業の復興とサイクルスポーツの振興」を大義名分として、戦前は日本各地で人気を博していた自転車レースを競馬に倣って賭けの対象にし、その収益金をもとに戦後復興に役立てることはできないものかと考え出されたのが後の競輪であった。
もっともこのとき、後の競輪を国際スポーツ株式会社の運営で行うのは不可能だと分かり、立法として取り上げてもらえるよう働きかけた。

国民体育大会は1948年(昭和23年)10月に第3回が福岡県で開催されることが決定されていたが、莫大な経費が嵩む自転車競技場の建設には県内のどの自治体も及び腰であり、自転車競技の開催自体が危ぶまれるという事態に陥った。
これを回避すべく、小倉市が「人気種目である野球を小倉市で開催する」ということを条件に、抱き合わせする形で自転車競技場の建設に名乗りを挙げた。
その後、自治体の戦後復興費用捻出および自転車産業の発展を目的として自転車競技法が1948年(昭和23年)8月に成立した。同年、地方の財政健全化と経済情勢全般の健全化、自転車産業の振興を掲げ、第1回の競輪競走が国体会場でもあった小倉競輪場において開催され、ここに競輪が誕生したことになる。
なお「競輪」の言葉を考え出したのは、当時毎日新聞西部本社・門司支局に勤めていた新聞記者である。当初は「きょうわ」、「きょうりん」と発音していたが、後に鳴尾事件が発生した時に語られた揶揄を避けるため、今の「けいりん」に改められた、という経緯がある。

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